カテゴリ:2014年8月 !!( 2 )

北海道・#6;北海道大学 と 小樽;

北の果て 宗谷岬から 都会の真ん中 札幌に帰りました。
宿泊した ホテル ”リッチモンド ホテル” の入り口です、この日から3日間は(6/6、7、8、)「ヨサコイソーラン祭り」でどこもホテルは無かったのです。 札幌駅から10分ですかね、すぐそばに 北海道大学の裏門があった。
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先にご紹介の ホテルのロビーは日本の着物ルームデコレートとして飾って居ました。
他の2枚の画像は 「旧北海道庁の建築物「と 街路樹 の ハナミズキ の木です、空気が本州と違いピーンしているように感じます。


北海道大学の中のご紹介です スライドショー にしました 時間が7分とかかりますから何回にも分けてご覧ください。
北海道大学は 始まりは 農学部が主でしたね、ここの農学部は充実しています、又医学部もですが
兎に角東京でなくこの広い原野に建てられた学府は素晴らしいです。
”新渡戸稲造氏”が農学部の創設者です下記に 画像が有ります。

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ウイリアム クラーク の 胸像です、クラーク博士 は アマースト大学(アメリカ)で教えていたときに その中に 日本人留学生 新島襄(のちの同社社大学創設者)の熱心な要請により 1876年の夏に 北海道大学の教頭に就任する が 約8か月後に辞職し その後 マサセツ
チュー工科大を辞めて 鉱山業に友人とかかわるが最後は破産し59歳で心臓病でこの世を去る。
有名な 言葉「Boys' be ambitious」 と言葉を北海道大皆に残して帰国。
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新渡戸稲造氏 の 胸像、新渡戸氏は この北海道大学の 農学部の創設者であり、また学生に
思想も教えています、著書 の「武士道」は今もアメリカではと言いますか日本でも長く読み伝えられています、ちなみに彼の妻は クエーカー教徒でして メアリー エルキントンで 日本名は
万里子です、国際結婚の走りですね。この胸像は農学部実地研修の場所立っています。
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上 2枚の画像は有名な 北大の ポプラ並木です、 平成16年の台風で8本が倒木したので 只今
農学部で修理、改善を行って居ます が このエリアには誰も足を運んできません、広大な農場を
私が独り占めです、遠くを走る車の音が聞こえるだけです。静寂な空気は旅で疲れた体を十分に休ませてくれました。
上の スライドショー の後半は素晴らしい植物が一杯です どうぞお見逃しなく。


こちらは 裏門から入ったら すぐのところにクラークビルでイング有り 可愛い女子学生に勧誘されて ついふらふらと入った 「エレクトーン演奏会」の中です 未だ新人学生の ローマの祭り
を聞きました、素晴らしいと拍手喝采とと行きたいところですが分からなかった。

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こちらは ”Hitomi Uehara君” 彼はエレクトーンによる Jazz を演奏してくれました、こちらは文句なく素晴らしかった が 私がカメラの操作を どじった 為に録音ができて居ませんで皆様にお届けすることが出来ません と悔し涙;彼とはアメリカの Jazz界の話に盛り上がり、又
今でも御年85歳 の”秋吉敏子 とその夫君 ルー タバキン”の話をしました、今は4年生だそうで
未だこれから 大学院に進むそうです、成功と世に感銘を与える音楽をと祈って居ます。



この デジタルブック は ”北海道旧省庁舎の花々です” 音楽と共にお楽しみください。
この赤煉瓦の建築物はいつ見ても懐旧の重いです。



小樽から札幌に向かう電車から撮影した沿線の海岸です、又 小樽駅は高台になって居て駅舎から
真っ直ぐに正面を見ますと海が見えます遠くに青く写って居ますのが小樽の海です。
本当は此処から 義姉 の住んで居る積丹半島まで 義兄の墓参りに行くつもりでしたが、大阪から
来た甥の車で 時間を聞いたら片道2時間半との事でそれでは往復5時間ほどかかり取り止めにしました、大阪の兄嫁は息子の車で雨の中を行きました。
私達は やはり大阪から来た 甥夫婦と小樽の鮨屋街でお鮨 と 観光の為に散歩です、小樽は
札幌から快速電車で40分ですから 恋人達には格好のデートスポットです と 土地っ子若者が多かった、小樽では オーセントホテル に泊まりました、その時に今日最終日の「ヨサコイソーラン祭り」の決戦の結果をテレビで見て全部 北海道勢 が1位から3位まで取りました、参加グループ
250組はあったそうです、特に2位 になった 北海道大学の学生グループは 赤❍どし姿で飛んだれ跳ねたり大奮闘で、昨日の 文化祭 の雰囲気とは180度違い これは これで郷土愛が発揮で
良かったけれども.....。


最後に 北海道旧庁舎 の中庭で披露してくれました チビッ子さんたちの ヨサコイソーラン踊り
をご覧いただいて 長い間お付き合いいただきました 北海道旅行を終わりたく思います。
有難うございました。
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by ustomi | 2014-09-04 12:56 | 2014年8月 !!

北海道 稚内・宗谷岬 #5;

6月5日です、 利尻島から稚内に帰り 何かホットする気持ち これは何かなと考えましてやはり
離島から 本州 に近くなったといいますことでしょうか?

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宗谷岬 日本列島最北端の岬です、緯度は北緯45度31分です、わたくしが前に行きました アラスカ北極圏の緯度は 北緯70度でした があそこは冬はエスキモー族しか住めないですが ここは
日本人のみなさん住んでいるんですね、冬の寒さが思いやられます。
お天気の良い日には 遠くサハリンが見えます 今は夕方近くで少し曇って残念ながら見ることはできません、しかしこの稚内から4日間の サハリンへの旅があります、今はロシア人しか住んでいないそうですが 日本国籍でもビザなしで行けるそうです、観光なら。
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上の 石碑は涙無くしては見れません、戦争は惨いですね、これは 樺太交換台の女性たちが最後の
通信を日本にした有様です、終戦で ロシア軍が南下してくる中職務に付いて居たのでしょう
彼女らは最後の通信を終えた後に 全員が青酸カリを服毒して自殺をしました、たぶん皆さんは20前後の年齢と聞きました、ここに亡くなられた方の氏名が列記されています。
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この碑は天皇の御製だそうですが どなたでしょうか 昭和天皇か今上天皇か知りませんが。
長さん のご指摘でこの 歌を詠まれたのは 昭和天皇だそうです、この遠隔の地に足を運ばれた
昭和天皇は ご自分の 始めた第二次世界大戦に沢山の国民を巻き込まれたことの責任を感じて居られると思います。変わって今の皇室のあり方はまるで週刊誌のゴシップ欄に感じます、彼らの
時代はこれで良いのかもしれませんが、しかし イギリス王室と少しも変わらぬ姿に失望します。
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宮沢賢治 の詩を記念に建てのでしょうか、宮沢賢治 は東北の方ですね、何故ここに有るのか
説明が有りませんでした。
後で調べましたら 最愛の妹を失った悲しみと決別する為にこの宗谷に来たそうですで。

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画像が前後しますが ここの画像は 稚内にある 波坊堤です、高さは見上げるほどです、冬の海の荒れる日はこの波坊堤をゆうに越して波が押し寄せるそうです、稚内は本当に厳しい冬を経験します。
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宗谷丘陵から見た 稚内市内、ここには 博物館も有り固有の動物や植物のはく製または絵などが飾って居ますが それは省きます、先に利尻で皆さんにお見せしたのと余り変わりません、ただし
植物園があったのですが 手入れがしてないためにそれらしき植物は見当たりません。
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氷雪の門 の記念碑です、樺太 で亡くなった方達の慰霊碑、(戦争の傷後は幾世紀に亘って残ります)ここから サハリンが見える日が有るそうです と それほどに近い樺太;
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はじめて 宗谷海峡を渡った外国人です 通過をしたといいます、 彼は 1785年フランス国王の命に依り2隻艦隊司令官として 初めてこの宗谷海峡を通過した ラベルーズ伯爵です、といいますわけで最初にこの宗谷海峡を渡った西洋人でして、その後 オーストラリアまで遠征しましたが その後の消息が不明で、遭難したのではといわれて二度とフランスには戻らかったようです。

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猿払村 の 村営牧場の牛たち、肉牛として育てられています、のどかで広々とした風景でしたが
今夜の ホテル の食事に提供されるかと思ったのですが、豚しゃぶだけでした(笑)。
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この 「望楼」は 樺太が明治7年に全島ロシア領となり日露の緊張が高まり その 防衛の為に 明治35年監視のの為に建設したものでして由緒ある建築物、その後日露戦争で樺太の半分が日本国所有になりましたが、再び 第二次世界大戦にてロシアに占拠されて現在に至って居ます。
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平和の 碑 です、このいわれは1943年 宗谷海峡で アメリカ潜水艦と日本海軍5時間に及ぶ戦闘の末に双方の戦死者は膨大で その記念碑で 「平和の塔」です。
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野生の鹿の群れです、夕方でしたので餌を求めてこの辺りに出てきました、人家も有るのですが
ガイドの話によると毎日現れるのだそうです、人間が危害を加えないからでしょうね。
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上の 4枚の画像は ノッシャップ岬の画像です、 日の入りが書れていますね、北国は夏は日が長いです、この時期は日の出は 3時半です、又 宗谷海峡に沈む太陽が素晴らしかった。
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稚内の丘の上から見た 日の入りと 坊波堤、はるかに宗谷の海が夕日を浴びて今まさに沈む太陽を
むかえています、明日も良い天気でしょう(感謝)。

これにて 長い間お付き合いいただいた 稚内、利尻、礼文、の旅を終わり 明日は 札幌に帰ります がその札幌では 親戚一同 28人の大宴会です。

なを 未だあります 最後の 北海道大学のご紹介です 今一度お訪ねください、 新渡戸稲造氏
クラーク博士、そして有名な 北大の銀杏並木などなどご紹介致したく思います 有難うございました。

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by ustomi | 2014-08-29 14:24 | 2014年8月 !!