LA を出発してから 3日目に着いた アイダホです、ここから又 ジャクソン ホール に向かって走ります、バスは快適に走り続けます、先に待っている出来事も知らずに。
途中 ラスベガス は横目でみてすっ飛ばして(どうせ帰りによる...)、最初の宿泊地 フィルモアーに着きました、まだまだジャクソンは先ですね。 今回の 走行キロ数 は 1.892マイル(3.327キロメーター)でこれは 忙しい人には向いていない旅行です、大体 LAからの バス旅行は気が遠くなるほどですね、途中で1泊しなければ着かないから、普通は飛行機で ソルト レーク に行き、そこからローカル航空に乗り換えて ジャクソン ホール と言いますのが当たり前です、30年前の時は私達も現役でそれは時間が無くてこのルートをたどって行きました。 ところでこの画像は順序が不同です、手当たり次第にUPしたからです と 共に一番インパクトのある グランドテイトン をお見せしたかったから。 こちらが グランド テイトンの山並みです、平地からすっくと山並みが立ち上がると言います姿。 これは ロッキー山脈の一部、この テイトン と言います名前はこの土地に移住してきた、フランス人の猟師によって フランス語のスラング あれは テイトン と言われたのが始まりで テイトンは胸のことで2つ峰は大きい女性の胸と言います意味だそうです。 高さは 4.197メートル、横幅は 15キロに及んでいます、夏でも雪は融けずこのまま冬を迎えるのです。 麓に咲いている高山植物の可憐な花たち。 こちらは ジャクソンホールに行く前にある 豪華なホテル 「Jakcson Hotel & Rogede」 でして このホールから眺める ジャクソン山は見事で前を ”スネーク リバー”が流れていまして、この川はこの先 イエローストーンまで続いていまます、このホテルで写す画像は余りに 絵の様に整っていてこの場所で写す写真はどの様な下手な写真家でも見事に写ると言われています(笑)。 ラスベガスを超え、ユタ州を越えてやっと着いた アイダホ州です、この州の特産品は全米一の生産量を誇る ポテト です、私達は アイダホ と聞くとすぐに ポテト と反応するぐらいの生産です、この畠は全部ポテトです と ジャクソン に入る前に撮りました画像 と言いますわけで、これが順序不同なんですね、この広い果てしないポテト畠を見てください、前に ブッシュの副大統領だった クエール氏が子供達に ポテト のスペールはと問いましたところ 子供達は ”Idaho” と書いたほどですまったく子供は無邪気ですが、それ程のポテト王国でして、夫の友人もここで生まれていまは LA に住んでいますが 毎年の夏は故郷のアイダホに帰り美味しいポテトをお土産に下さいます。 ジャクソンに入る前のショッピングセンターにある 銀行です、建物も山に来たなと言います建築です。 上の二つは ジャクソン ホールで宿泊したモーターイン です、ここで同行の2人のハズバンドが病気になり この町の病院に入院と言います事件が出来、この2人を残して私達は イエローストンに向かったわけです、中々これで30人と言います人数は色々な事が起きます、彼はお腹に何かのばい菌が入り嘔吐のの繰り返しで、又本当は アイダホ ホールを通って帰るのが予定でしたが、この 町に再び寄って彼らをピックアップしたのです。 またまた 出てきた ジャクソン ホテルですね、これが順序不同でして、やたら画像が多いと駄目です。 このホテルの ロビー は素晴らしいです、山小屋風でそして歴史が古いですから建物も重厚です と お楽しみください。 #
by ustomi
| 2013-07-25 05:29
| 2013年 7月!!
7月6日から1週間の予定で Yeloowstone、Bryce Canyon、Las Vegas、 の予定で総勢
仲間が集まって(38人)バス旅行を楽しみました、皆さん顔なじみや、親しい友達だけの集まりでそれは、それは、楽しい旅になるはずが、Yeloowstone の山中での インスペクッションに バスが引っかかりイエローストン湖の端で 運転手が免許はあるが、彼は中国系で英語が話せないとの理由で インスペクターから直ちに運転の中止を受けました、そこは ビジターズ センターのところで私達はどうにもならず この旅行の企画者の リンさん があちこち電話をしてやっと同じ中国系の運転手に助けてもらい インスペクッションを通過して Jacson Hollsの町まで運転してもらい その後は私達の運転手に代わると言いますアクシデント、この町に一緒に同行した2人の内のハズバンドが何かお腹に菌が入って病気になり 置いて私達は Yeloowstone に行ったのでこの2人を つれて帰らねばならないので、この間に湖のそばで4時間待ちで、それから Salt Lake市まで向かうと言います有様でしたが、誰も文句は言いません、さすが皆アメリカ生活30年以上の人ばかり この様な事には慣れていますから。 と 最後に寄った Las Vegas を最初にUPしました。 ここは Las Vegasでも ダウンタウン の方です、前はとても寂れていましたが、Wynn氏の発案で素晴らしいアイデアで活性化して今は人が沢山来るようになりました、もともとはこのダウンタウンが Las Vegas の発祥の場所なのです、昔 1935年頃の不況でアメリカは失業者が大量に出て、その救済の為に時の大統領 フーバー氏が 近くフーバー ダム と言います壮大な国家プロジェクトを起こしました、それで全国から労働者が集まりその働く人々の為の娯楽施設として発展したわけで、最近は ラスベガス ストリップ通り の方が見事な カジノ、ホテル が出来ました。 なを 私達はこの(Golden Nugget Hotel)宿泊しました。 上の画像は フリモント エキスペリアンス の通りの様子です、沢山人々が ラスベガス ストリップ通りからこちらに戻って来たのです、こちらの方がホテルや物価が安く上がります と 庶民にとって何よりの楽しみを与えてくれる場所が再び出来たのです。 フリモント通りの天蓋の沢山の映像がかわるがわるに映し出されて見飽きません。 今夜の ロックバンド の演奏はよかったな~、体が自然と動くではないですか....音は思い切り煩いけれど と 夜はすべての人々は眠らず過ごす Las Vegas;。 最後に この 豪華ホテルは ラスベガス ストリップ通りにあります、この中で「Wynn」は最高級のホテル カジノ、このホテルは Wynn氏が最上階の部分を長年連れ添った妻の為に作ったフロアーでして、彼女の住居です、眺めはピカ一ですし、この世界では珍しい話です、大方の経営者は 金儲けと共に財産が殖えるたびに妻を変えて行くから(笑)。 後はPari;s Hotel & Casino、ベネテアン(ここは イタリアのベニスを模して)。Monte Calros、(モナコを模して)、4つほどの有名ホテルをコラージュ仕立てで。 では引き続き スライドショーにして掲載します、余り画像が多すぎて。
次回からは 目玉の Yeloowstone を掲載致します、この土地は毎日小さい地震が体に感じるほど揺れを起こしています、なにぶんにも地下にはマグマが一杯詰まっていますから。 #
by ustomi
| 2013-07-15 14:19
| 2013年 7月!!
長かった 日本の旅も終わりに近づきました、5月16日(金)に関西より東京に戻りました、となんと悠長な ブログで申しわけありません、あちこち寄り道ばかりで。
東京はやっぱり好いわー(親族が皆この近辺に居る)夫は やはり関西は良いらしく顔の筋肉が緩みっぱなし、そうですね彼の大半の親類縁者は関西だから。 で。この日の夕食は初めて自腹で二人で食べに行きましたよ...すしざんまいこの店はあちこちにあるらしいですが ホテルのそばの すしざんまい は特別美味しいです、客がしっきり無し来ますから材料が好いのでしょうね、それに JR のガード下ですが綺麗なお店です、一度妹と一緒に昼のおすしスペシャル これが本当にお得でして、一人前 味噌汁、茶碗蒸しがついて 900円位でした、前にやはり妹と一緒に 東京駅の大丸の上階にあるすし屋 4.000円でして 私はもっと安いのにしようよと言いましたら「お姉さんお鮨は値段を惜しんだら碌なネタが無い」と諭されてね 4.000円食べたのですが。 それとはなんら遜色が無く、でも妹はここ煩いねと文句を言いますのよ、上を電車が通るたびにゆれるから、アメリカ人の私は合理的だから安くて、美味くて、綺麗なお店なら と平気です。 この日の2日後日曜日には リムジンに乗り成田空港に向かいなつかしの我が家へです、日本は満喫でした。 今日は 土曜日ですね 結婚式がやはりありました、1週間前のときより随分と少なかったようで 今度は新郎新婦は洋装で、階段の上から写しました、晴れの日オメデトウ♪♪。 金曜日土曜日から始まる 「Oktoberfest」 が日比谷公園で始まる準備に忙しそうです。 なんでこの5月に 「Okoberfest」なのと思いました、アメリカでは 10月から始まりますね だから オクトバフェスト なんだから、商業的なものかな?。 遠くに木立の中にあるのは 「松本楼」ですね」値段を見たら案外とお安いです、ランチ は 800円なんてありました。 こちらは Cafeですね、これ 映画の 「相棒」に出てきません、何時も 小野田官房長官と 右京さんが忍んで会う時に使っているのかな~と思って撮影してみました。 日比谷公園に 白鷺がいました、驚いて写してしまいました、こんな都会の真ん中に餌があるんでしょうね。 珍しい花々がありました、特にスクット立って居るバラは色々な色が一本の木に裏表になっているのは驚きです。 さて こちらは ”タイ航空” の本社ですね、昔は良く乗ったな~と感慨無量です、タイの人は大変に優しいですね、もう20年以上前になりますが 香港からタイに工場が移って今度は バンコックに行くようになり、今まで香港にばかり宿泊して 中国人の無愛想さと不親切さに慣れた私はタイのバンコックの ヒルトン ホテル に初めて宿泊したのですが、働く人々がやわらかく、そして お掃除に部屋に入る時も靴を脱いでね、両手を合わせて「ハロー マダム」 と言いながら入って来るんですね、香港との違いにこちらもなにげに頭を下げそうになったの覚えています。 さて こちらは金曜日の 東京都消防署の音楽隊の練習風景、「金曜日無料コンサート」が 日比谷野外音楽堂であります、その前の練習ですね、私も聞きに行きたかったのですが、今夜は 東京で働いて居ます 夫の姪達総勢4人が 私達の部屋で ”ワイン パーテイ”をします、妙齢の美女ばかり集まってね、叔父さんは外野ですが、叔母さんは仲間入り、だって夫は話が分からないし 意味不明な説教をたれるから、26歳から32歳あたりまで皆姦しいですこと、毎年開催です ワインは3本は無くなります と 働く女性の生の声は参考になりますから、無量コンサートは涙をのんで諦めました。でも 東京消防庁音楽隊 は本格的ですね。 その1週間前にここで ”南 こうせつ” のライブがあったそうでその時に 安倍首相は何曲か歌を披露したとか、やるではないですか(笑)。 日比谷公園の花々です、よく手入れされて綺麗です、中には企業の ボランテイア の花壇もあります、クリックして スライドショーでご覧下さいい。
長い間に亘って掲載の 日本旅ブログにお付き合い頂き有難うございました。 又 近いうちに Yellowstone の記事を掲載させて頂きます、変わりなくご訪問下さいますように、よろしくお願い致します。 来る 7月4日 は Independence Day 「アメリカ国家独立記念日です」。 3日前に フエニックス、アリゾナ の近郊で 山火事がありました、その消火作業に当たった 消防士 19人 が 風向きが急に変わって炎に包まれて亡くなりました、若い20代の方が多いですが 中には 4人のお子さんの パパ も居られると言います惨事がありました。冥福をお祈り致します。 #
by ustomi
| 2013-07-03 04:26
| 2013年 6月!!
今までの 日本旅行記 を少しお休みして ロシア の歴史をご紹介いたしたく思います。
こちらは スーズダリ(Suzddal の ユネスコ遺産世界の ボグロフスキー修道院の全景) 画像は Wiki からお借りしました。Suzddal は モスクワ北東の、ウラジミーミル州にあります、人口1万4千人の都市です が これは 2002年の記録、今は観光客も増えてもっと栄えていますのではないのでしょうか。 さてこちらは ピヨートル大帝 の最初の妃の ”エヴドキヤ・ロプヒーナ” です 、彼女は出自は良かったです 貴族の娘でした、そして ピヨートル大帝との間に3人の息子が生まれたのですが 2人は夭折いたして、長男の アレクセイ だけが成人をしました。 エヴドキヤ は 大変信心深い人で、又彼女の親族ももっと信心深いといいます環境に育ちました それが ピヨートル をして我慢がならなかったのでしょうかね、ピヨートルは彼女を宮殿から追放して この 修道院に幽閉しようと試みました、早く言えば離婚したかったのです、大帝には オランダ人の アンナ・モンス と言います寵妃が居まして この彼女に ゾッコン だった様で寝てもさめての様子が伺えます が残念ながら アンナの画像は探せません どのくらいの美女か分かりませんと言います事です。 何回か説得したのですが彼女はがんとして応じなかった様ですが、ピヨートルはヨーロッパ旅行中に親族に宛ててその 宮殿からの追放を命じこの淋しい田舎に幽閉をしてしまいました。 しかし スーズダリの修道院長は気の毒に思ったのでしょう、彼女を俗世に暮らすように取り計らったそうで、この地にてステバンと愛人も出来ましたが、この方もピヨートル帝の命に依り 恐ろしい刑 ”四つ裂き” の刑に処せられました、その後にピヨートル大帝亡き後に なった「エカテリーナ一世」に サントペテルスベルグ まで呼び戻されて又の牢獄生活です が この辺が分かりません、エカテリーナはなんでこの孤独な夫人をそこまでするか。 只 エヴドキヤ の長男はピヨートルよって反乱の罪で捕らえられ獄死をしています が その 子供達は居ります、後に 孫が(アレクセイの長男)ピヨートル二世を名乗って即位をした時に モスクワに呼ばれて宮殿も与えられて生涯を終えました。 生没 1669年から1731年の生涯でした と なんと エカテリーナに比べて日の当たらない人生だったか、なを画像はこれしか探せません 多分晩年のものでしょう。 私達がこの 修道院を訪れたのは 午後でして夕方まであちこち廻って居る内に礼拝の時間が来たのでしょうか 近辺の住民が続々と見えました、ここで気がつかれたでしょうか、ご婦人方はスカートを穿いて居られます、これは カソリック も同じで教会に来ますときは未だにスカート着用のところが多いです、この教会は ロシア正教です キリスト教の一派、若い方にはズボン姿も有りますが あとズボンを穿いているのは観光客です、私も教会にズボン姿で行くと言いますだらしなさですが 本当は敬虔な信者はその様な事は致しません、わが教会でも結構スカートを穿いてこられる方が多いです。 上の画像は この教会の中にあります 修道院 です、説明では今のところ約 100人の修道僧が居ますそうで、彼等は毎日を祈りに明け暮れ俗世とは関わり無く自給自足の生活を送って居ます と 同行の方彼は何時も私に話しかけるのですが、「結婚させてやれば良いのに」と言っていましたこのお方は 学校の校長先生をして居られて ユダヤ系アメリカン。 宗教とはそんなものではと私は言いました彼らが好んでこの道に入ったのだから、カソリック も同じで生涯神父なったら妻を娶ってはいけないのですね、我が愛をすべて神に捧げなければなりません 神様と結婚した様なものですから、しかし プロテスタントは違い妻帯者でなければ教会を任せて貰えませんそれには幾つか理由が有ります、それは割愛させていただきます、個々にお話いたしたく思います。 上の二枚の画像は 世界遺産の スーズダリ の白い教会堂 と カメンカ川(教会のそばを流れています)畔で ガイドが観光客に説明をしていますところ。 この近辺には 沢山の修道院があり 途中 大きい尼僧の修道院もあり といたるところにありました、しかし 現代でも余り繁華でなくこの日は雨模様の日でして夕方から夕立が降り始めて大変な目にあいましたが。 なを この湖は スーズダリを離れてまもなく現れる 「ホワイト湖」ですまるでミルクココアの色をしています とても寒い風が吹き甲板で写真を撮っているのは私一人、洪水の為に教会が水没しています が 中々良い景色で荒涼としていかにも内陸のロシアですね、それでも魚釣りの人も降りました 小さいボートの乗って。 したの スライドショー は画面をタッチして下さい スライドショーが始まります、本当は デジタルブック にしようかなと思ったのですがこちらの方がよく見ることが出来ます。
mondoさん が見つけて下さいました、 エヴドキヤ が王妃の座を追われる最初のきっかけを作ってくれた アンナ モンス の画像です、この方は欲が無くて ピヨートルが 愛妾の位置から 結婚まで考えてくれていたのに そんな事お構い無しに只ただ陽気に振舞って ピヨートルの妃になるのを忘れていた と 言いますかノンキなお人です が但し彼女には恋人がいたようです。 #
by ustomi
| 2013-06-22 14:52
| 2013年 6月!!
この日は 帝国ホテルでは沢山の結婚式が挙げられていました、その一つ 正面ロビーの花の前で新郎、新婦 が記念撮影をするための準備中....、振袖姿は良いですね、その他に続々と花嫁&花婿で ホテルの ロビー はごった返していました、跡で暦を見たら ”大安”となって居ました。 この近代的な世の中でもやはり ”大安”大事なんでしょうかね、そうそう エレベーターの前を占領して カメラに向かって自分の唇を写させていた花嫁も居ましたと ともかく土曜日のホテルはものすごい事になっています毎度のことながら(笑)。 伊東温泉の景色です、昨日は東京も雨’、こちらも雨の日でしたが、今朝は晴れて遠くに島影も見える浜辺の景色、この温泉地に来たのは何十年ぶりですね、未だアメリカに行く前だったから数えるのが分からないくらい< その数年前に 熱川温泉に行ったけれど 安宿で(これは夫がリンクで見つけた)私からものすごくクレームをつけられて、彼も反省かな と 今回のホテルはよかったですね 温泉饅頭山ほど買ってアメリカ土産にしました と この饅頭は結構評判がよかった。 この男の子 伊東駅のホームに居ました、中々洒落た服装でその趣味は抜群でしたので、写真を撮らしてもらいまして、これをブログに載せていいかと聞きましたら、OK だそうです、'粋な でも少し照れてこんな格好になってね。 こちらは同行の女性達です、気楽に写真に納まってくれましたから、Hollywood に売り込んでおくねと約束しました(笑)、他にも3人は居ましたが男子学生は恥ずかしがりでして逃げてしまいました。高校生でしょうか? 伊豆の海を車窓から写しました。 通天閣です、大阪は なんばの駅の上に有る スイスのホテル会社の 経営する「スイス ホテル なんば」です 何でもヨーロッパ風でしてアメリカ人の私達には チマチマ した感じです がやはり一流ですからそれなりに綺麗です と毎回大阪はここに 泊まります。 通天閣は懐かしいですね、その昔 夫の会社の本社が本町に有ったので、私ははるばる大阪に来ました、そしてカルチャーショック を大変受けてね、例えば 「新平民=同和部落」この人々は 私は 島崎藤村の小説の世界のと思って居ました、未だその時には厳然と有ったのです ”耳成部落”と言いまして、関東では聞いた事も無かった現実が(驚き)、未だ河内方面にもありましたね 今は彼等は今までの差別を受けた代償として国家から大変優遇されていますそうです と アメリカの インデイアン を想像させられます と 何処の国にもある事実; 話し変わって通天閣には良くゆきました、”串かつ”を食べに 私達は 堺市の「仁徳御陵」のそばに住んでいました、会社の社宅。通天閣には 阪堺線に乗ってね、と大阪は懐かしい思い出が沢山ある街です。 大阪の街の朝日です、ホテルの窓から見えますこの 「空中庭園」 昔の 南海球場のの跡地です そこで 私はハタと思いました、「南海ホークス」 は何処へ行ったのかと、大阪を離れてからの物語でしたね、外国に住んでもう日本の情報も乏しくなって、そういえば 「ドカベン」といわれた 香川君が居たっけなどと記憶はあいまいになり、それで調べて見ました ダイエー ホークス となって 福岡、九州 に身売りをされて行ったのでした が その ダイエー も会社更生法になり ソフト バンク になったのでした、歴史は目まぐるしく変わり今は九州の野球団となり淋しいです 良く野球フアンの私は家から近いから球場に通いました と 野村や鶴岡監督など思い出します。 最後の3枚の画像は 紀州は紀南です、お天気がよくて海の水は素晴らしく青々としています、この近辺は”日本のコートダジュール”だそうです(笑)、3年前に私達の毎回泊まる「ダイワホテル」は和歌山県の植樹祭に 天皇、皇后、がお見えになりそのp時期は5月でして、私達の宿泊する10日前でしたが ホテルはひっくり返って居り 誰も客をとらない様にしていましたね、内装に汗を流していました と この近辺の畑道まで舗装してね、こんな事ではこのお二方には本当の町を見てもらえないのではと案じました。 最近は 「熊野古道」も 世界遺産に登録されて、中々設備も整って来ましたし、夫の実家の前にあります 「悲劇の人有馬の皇子」の碑も日の目を見るようになりました と 昔はこの碑はなに?なんて状態でしたが。 #
by ustomi
| 2013-06-11 06:39
| 2013年 6月!!
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